納豆の食べ方について

今日は、納豆の食べ方について考えてみましょう。

一般的に、納豆を食べる話と言えば、

まずは「混ぜ方」の講釈から始まります。


ワタクシこと、あじもすの流儀は、下記のとおりです:

まずは、パッケージを開ける。

次に、セロファン(?)の上に置いてある、
タレとカラシを取り出す。
(最近は和辛子ではなく、洋辛子──
マスタードが入っていて、嘆かわしい限りである)


セロファンをはがすのは、けっこうムズカシイ。
気をつけないと、豆の 2-3 は持って行かれる……!
なによりも慎重に──そう、
「天女の柔肌から羽衣をはぎ取るがごとく」
優しくしなければならない。
(言うまでもなく、天女とは──アナタです!)


無事に納豆の本体が見えたら──、
タレも何も入れずに箸でかき混ぜる。
最初はバラバラとまとまりがない、
新人の芸人のような豆たちが、
だんだんと糸を引いて絡んでくる。
(このあたりも芸人と同じだ)


さらに混ぜ続けると、納豆の糸がなくなってくる。
5 回 10 回では、まだ糸は引き始めたばかりだ。
10 回 20 回で、ようやく「納豆らしく」なる。
30 回 40 回で、そろそろやめても良い気がしてきた。
50 回 100 回で、普段とは違う「納豆 Ex」ができる。
200 回 300 回で、回っているのは豆か自分か……。
1000 回 2000 回で、かゆい うま
5000 回 10000 回で、とつぜん真理に至る。
50000 回 100000 回で、生き仏だと崇められた。
4294967296 回目にしてようやく、もう──、
──人類の血を引くのは自分だけだと気がついた……。

それはさておき──、

納豆が混ざったら、タレとカラシを投入しましょう。
「最初はタレだけ入れて混ぜる」とか、
「タレではなくしょう油を少量ずつ」とか、
いろいろと流儀はあると思いますが──、
──早く食べたい。
なので、くそみそ──じゃなくて、
タレ・カラシを一緒にしてしまおう。

さて、ようやく納豆が混ざりましたが──、

──今日の主題はここからです。
よって、ここまでは読み飛ばしてください(えー)。


自分が疑問に思ったのは──、
──納豆とご飯とを、どう絡めるか──です。


2 つの考えがあると思う。
すなわち、「ふりかけ方式」と「混ぜ御飯風」です。

ふりかけの美味しさと言えば、

そのパリパリとした食感が大事です。


ご飯の上にパラパラと振りかけて、食う。
そうすると、まずは口の中で、
ふりかけがパリッと小気味よいサウンドを奏でる。
続いて、ふりかけ職人(?)の思いが込められた、
豊かな味わいが舌にのり、広がっていく──。


ふりかけ職人の朝は早い。
まずは、前日に仕込んだメソ(以下 64 万字省略)


さて、ふりかけを噛みしめた。
間髪をいれず、ご飯──お米──銀シャリが、
真綿の布団のごとき柔らかさで、歯を受け止める。
ひと噛みひと噛みごとに、
ふりかけの塩味が──、ご飯の甘みが──、
朝日のまぶしさが──、姉妹の笑顔が──、
──舌と目と心とを満たす。
(姉も妹もいないケド、そういう時は妄想すれば良い)

ただし「混ぜ御飯風」、てめーはダメだ!


ここで言う「混ぜ御飯風」とは、ようするに、
ふりかけをご飯にかけた後に、
ぐっちゃぐっちゃとかき混ぜる、
小学生の低学年の給食の時間の風景のように、
下品で「御里が知れる」食べ方のことです。
(いま、ものすごい勢いで敵を作った気がする)


ふりかけの美味しさ──存在価値は、
パリパリとした歯ごたえにあるので、
それを生かすように食べて欲しい──と、
ふりかけ職人(?)も思っているはず。


言うまでもないけれど、一部のふりかけのように、
最初からご飯と混ぜることを想定したモノは除く。

さて、ようやく本題ですが(え?)──、

納豆は──柔らかい。
それに、ニオイも質量も、かなりの存在感です。
そのため、「ふりかけ方式」で食べる──つまりは、
ご飯にのせただけで食べると──、
── 8 割方は納豆が口内の空間を支配する。


そうなると、「納豆ご飯」を食べているのか──、
「納豆」後の「デザート」がご飯なのか──、
「俺がお前でお前が俺で」なのか──、
──なんやワカラヘンことになってしまいます。

そこで納豆に関しては、

「混ぜ御飯風」を採用することにしました。
グチャグチャと納豆もご飯も混ぜる、食う。
──デリシャス! 最高!

結論
混ぜ方とか食い方とか、ドーデモイー