「でき婚」という言葉の気持ち悪さ
「できちゃった結婚」という言葉・概念が嫌いです。
前にも書いたけど、最近、さらに気持ちが悪くなってきた。
というのも、「授かり婚」という言葉まであるから。
Yahoo!辞書 - 授かり婚
http://dic.yahoo.co.jp/newword?ref=1&index=2005000617
何が気持ち悪いのかと言うと、このあたりですね。
「できちゃった結婚」は(略)、その含む意味や行動の「軽さ」が目だつことから、もっと神聖化した言い回しが欲しいと、いくつかの言い換え案が提案されている。
なんで「神聖化」せねアカンねん!
気持ちいいからってナカで出したら、そりゃデキるやろ!
カッコつけてる場合か!!!! ──と。
まぁ、それはさておき。
自分自身、なぜこの言葉に対して必要以上に不快感を持つのか、
ちょっと分からなかったのですが、ようやく理解できました。
ようするに、結婚と出産・それにともなう「交渉」(笑)が、
なんでセットになってるの? という疑問ですね。
結婚しても子どもを作らない人もいるし、
子どもがいても結婚しない人もいるでしょう。
小学生の息子と一緒に、結婚式に参加しても良いのです。
すべて、当人たちの、自由。
それが、でき婚という言葉からは
「結婚したら子どもができるのは当たり前である」
という押し付けを感じるのです。
──でもこれって、たんなる「言葉狩り思考」なのかも。
うーん……。
まぁ、「自分はこれが嫌い! これは好き!」と
ハッキリ言える自分でありたいものです。
ということで、オ レ は ア ナ タ が 好 き ! !