あの頃は秀才だった

小学校低学年の頃は秀才だった。

テストで90点以下を取ることはほとんど無かった。もし、90点を下回っているとお母様(わざと書いている)に叱られた。

とくに思い出深いのは、国語。

予習するのは当たり前。新しい課題の作品は、全て暗記していた。お母様(わざとk)の前で暗記した内容を音読した。毎回、テープレコーダに録音し、二人で確認していただいた。

自分は少し複雑な母子家庭で育ち、ほとんどお母様(わz)の稼ぎ一つで生活していた。その忙しい中で勉強を見ていただけるのは、幸せだった。

成績がよかったせいか、パソコン(PC-8001 mkII・12万3000円也)を買ってもらえた。プログラム言語・Basicを独学で覚え、いくつか簡単なプログラムを書いた。パソコン教室に通ったこともあるが、パソコンに不慣れな大人たちのペースに合わせるのがダルかった記憶しかない。

繰り返すが、小学校低学年の頃は秀才だった。

時は流れて──中学校ともなると、母親に勉強を見てもらうこともなくなった。そのせいか、みるみる成績は落ちた。クラスで半分より下──というのが当たり前になった。

今、思い出してみると──母親に頼っている部分が大きかったのだろう。マザコンと呼ばれても仕方がない。そしてそれは、今でも変わっていない。

みるみる落ちぶれて、高校受験の頃になっても、ほとんど勉強しなかった。受験する高校も「家から近い」という理由だけで決めた。滑り止めも一校受けた。

──あとで聞くと、受験した高校はどちらも「けっこうレベルが高い」とのこと。余り興味がないので詳しくは知らないが、受験勉強したのは三日間くらいなので、大したことはない高校、と認識していた。

たぶん、中学生までは「頭が良かった」のだと思う。授業で「解らないこと」はほとんど無かった。「覚えられないこと」があることは理解していたが、「覚える気」がないだけで理解はできていたと思う。

高校生になると、今度こそ全く勉強しなくなった。テストは毎回赤点で、追試を受けるのが当たり前になった。「解らないこと」が圧倒的に増えた。

高校卒業後、専門学校に行ったが中退。以後、五年以上もバイトの日々。

──こうして振り返ると、明らかに高校時代から何かが変わった。まぁ、学校の成績が良いことが人生において最上とは思わないが、もう少し勉強に身を入れても良かったと思う。勉強以外に夢中になったこと、というのもなかったし。

自分に子供ができたら、上記のような《人生の変わり目》には注目してみよう。また、課題作などの音読と記憶はやらせてみる。完璧に記憶できると、かなり気持ちが良かった。なんせ、「自分はできたよ」と胸を張って言えるから。