何だか萎え萎えな日

今日は日曜日だが出勤。日祝の勤務は楽なので好きだ。今日ものんびりできたので、書類の整理をした。もう、二年ほど見ることもない書類を処分した。スッキリ。

月曜日からのシフトが変則的で、一日置きに休み。月・水・金と休みになった。楽なような、損なような。──こういう場合、文句を言うより「ついてる!」と思った方が何かと得なので、「ついてる!」と思おう。

さて、明日は休みなので相方(独語で言うところの、リーベ)を呼んで立食パーティでもしようか、もとい、一緒に遊ぼうか(どんな間違いだ)と思ったのだが、断られた。相方は現在、求職活動中でとくに用事もないとのこと。

──と、たったこれだけのことで、自分の中にもやもやと《ヨクナイキモチ》が渦巻いているのを感じた。なんと弱い心か……。

この辺りは最近、自分の中で《心の棚卸し》をしてまとめた結果が、下記。

  • 自分の中で《彼女》という存在は、猫か何かと思っている
  • 「ちょっと寂しいときに、側にいて欲しい」
  • むしろ、「寂しいとき《だけ》いて欲しい」
  • それ以外では、とくにいなくても構わない
  • 要するに、《都合のいい女》を求めている
  • 《縛る》のも《縛られる》のも嫌い

──自己分析の結果に絶望した!

女性を猫に喩えるのはいろいろと問題がありそうだが──振り返ってみると、猫を飼ったことは何度もあるが、《ちゃんと》寿命まで飼ったことがない。ほとんど、「近所の野良猫に餌を与える」程度。そのうちに愛想を尽かされて、どこかに行ってしまう。犬を飼ったことはほとんどないが、猫と同じような接し方。

猫すらまともに飼えないのに、ましてや人間の女性など──。