見たことがない

世間では連休中だが、自分は休日は今日くらい。明日から五連続勤務。

連休中にどこかへ出かけると渋滞だの団体だのに巻き込まれるので、おとなしく家にいた(家にいるときに騒がしかったことはない)。新しいアプリケーションソフトを試したり、シレン64で遊んだりしていると、あっという間に夜になっていた。──こんな日が何日も続くよりは、仕事があった方がメリハリがあって良いかもしれない。

連休中にみんな(誰)は旅行にでも行くのだろうか。自分はいまだに海外に行ったことがない。それ以前に、本州から出たことがない。「エジプトのスフィンクスが風化で鼻が無くなった」とニュースで見た。このままでは、自分が観に行く頃には足しか残っていないかも知れない。──要するに「自分が観に行くことは永久にないだろう」という解りにくいギャグ。

「ひょっとしたら地球の裏側は存在しないのでは?」「天動説が正しいのでは?」といまだに信じているひとがいるらしい。何を信じるかは個人の自由だが、これだけ情報が飛び交っている現代で、上記のようなことを信じることができるのは驚異だ。

──しかし、実際に「地球の裏側」を見たことがない自分と、天動説を信じるひととの差はどこにあるのだろう。

──「見たことがないけど存在を信じる」。

──「見たことがないから存在を信じない」。

天動説を信じるひとは「見たことがないから」というのが根拠、というわけではないだろうが例として。

成功者の多くは「目に見えないものを信じる力」を持っているという。まだ見たことがない「スフィンクスの存在」は信じられるのに、「成長した未来の自分」を信じられないひとがいる。それは何故だろう? どこに差があるんだろう。「誰かがあるって言ってたから」だろうか。