本もWebも数をこなしてナンボ

休日は読書、ということで『百器徒然袋──風』(京極夏彦 著)を読了。

短編が3作収録されていて、正味3日で読んだ。──とはいえ、計500ページ余りあるので、自分にしては早い。早く読めた原因は、この作品が京極夏彦氏の長編小説の番外編というところにある。要するに、登場人物はすでに知っているひとばかりで、頭の中で情景を思い浮かべるのに苦労しない。

京極作品は、舞台や人物の説明が事細かに書いてあるし、基本的に一人称視点で、その都度自分が考えていることを地の文で語るので、解りやすい。一作一作は矢鱈と長いし、難解な専門用語──様々な分野の──が次々に出てくるので、一見難しそうだが──その実、ライトノベルと呼んでも間違いではない。キャラクタもの、というか。

京極作品はほとんど読んでいるが、そうすると何千ページも読んだことになる。一作一作、細かいところまで覚えているわけではないが、二三度読んでいる作品もあるので、大体の内容は覚えている。──ほとんど読んだ本のことを覚えていない自分にとって、珍しいことだ。同じことは森博嗣氏の作品にもいえることで、要するに、この二人の作風が自分に合っている、ということか。

それにしても、まだまだ読んだ本の量が少なすぎる。どこかの匿名掲示板で、「SFを1000冊読んだこともない奴がSFを語るな」という趣旨の発言があって、なるほど、と思った。その反論として「1000冊を流し読みするより1冊を密に読んだ方が有益では」というのがあったが、違うと思う。

一人の人間と密に付き合うより、1000人の人間と浅く付き合う方が、〈人間〉というものを深く知ることができるだろう。本(SF)もそれと同じ、というのは言い過ぎだろうか?

自分は毎日毎日、軽く100以上のWebページを見ているが、ほとんどは数分で忘れる。しかし、〈今、Webで何がウケているか〉くらいは何となく判る。それは、たった一つの優れたニュースサイトを見るだけで同じような情報を得ることはできるが、決定的に異なるところがある。それは──何とも説明しづらいが、〈ウケるページが判る感覚〉とでも言うか。そういう感覚は、何百何千とWebページをたぐっていかないと身につかない。

それは、おそらくどんなジャンルでも同じだろう。技術は反復でしか身につかない。──はたして、Webページに関してはそれが何の役に立つのか、という問題は残るが……。

それはそれとして、面白い本に巡り会うためには、とにかく数を読み込まないと。さて、次は何を図書館から借りてこよう(すでに家に本を置くスペースなどない)。