『天体観測』を聞くと泣きたくなってくる

いまでも、BUMP OF CHICKENの『天体観測』を聞くと泣きたくなってくる。

『天体観測』は、主人公の「僕」が若かった頃の苦い恋の思い出、といった歌詞。まぁ、昔の失敗談を引きずっているのはオトコノコにありがち。

  知らないものを知ろうとして、望遠鏡をのぞきこんだ。
  暗闇を照らすような、かすかな光、探したよ。
  そうして知った痛みを未だに僕は覚えている。
  今というほうき星、今も一人追いかけている。

しかし、このあとの歌詞がじんわりと涙を誘う。

  もう一度君に会おうとして望遠鏡をまた担いで、
  前と同じ午前二時、踏切までかけてくよ。
  はじめようか天体観測。二分後に君が来なくとも。
  今というほうき星、君と二人追いかけてる。

最後の一行は、もちろん上の歌詞の一行と対になっている。

おそらく、若い頃に「僕」は「君」とうまくいかなくて、結局その後、会えなくなった。ずっとその「痛み」を引きずった「僕」は、あの日と同じように天体観測に行く。そこに向かったのは「僕一人」だし、もちろん「君」が来るわけはないけど、「今というほうき星、君と二人追いかけてる」と「僕」は言う。

「今というほうき星」は〈青春時代〉や〈夢〉に置換が可能だろうが、そういうことは自分の胸の内に、そっとしまっておこう。



さて、いきなり雰囲気ぶち壊しだが、要するに『天体観測』は「あの時あのコに手を出せなかったことを後悔するオトコの歌」とまとめることができる(台無し)。

──で、思ったけど、若い頃はいろいろなことを「やらなかったこと」を後悔するけど、オトナになるにつれ「やってしまったこと」に後悔することが多い気がする。

あ、違う。「若い頃に○○しなかった・できなかった」ことを後悔するようになっているだけか?

さて、30過ぎた自分が「若い頃にしなかった○○」の中で、今からでもできること・できないことって何だ?