待たされるのは嫌い

昼間、時間が空いたのでAとお茶しに行くことになった。お互い、夜は用事があるので、軽く会う感じで。
自分が「何分で来れる?」と聞くと「4、50分で」というので、60分後にカフェに着くように向かった。時間通りに来るとは初めから思っていない。

待ち合わせ場所の『radi cafe』はオサレな空間と雑誌でくつろげる。いつも座る席に、いつものように座る。いつものように、雑誌を流し読みして過ごす。

「4、50分で」と聞いてから90分ほど過ぎたので、コーヒーを飲んで帰ることにした。それでも、合計120分ほど待っていたが、連絡も無いのでカフェを出た。


「待たされる」のは大嫌いだ。週刊少年ジャンプで連載中の『NARUTO』で、「待つのも待たせるのも嫌い」と言ったキャラがいるが、気持ちがよく分かる。他人を待たせる人は、『アニー』(だっけ?)モモ』に出てくる「時間泥棒」のようだ。


後で分かったことだが、Aは自分がカフェを出た2分後に着いたらしい。その前に連絡があれば、お互いムダに時間を過ごすことも無かったのに(「自分から連絡しろ」とか「もう少し待て」といった意見は今回の主題からズレるので勘弁)。


ところが、「待つ」のは嫌いじゃない。自主的に、何かを待つのはいい。人だったり機会だったり。

徹底的に、「人から強制されること」が嫌いなんだな、と自覚した。