本の読み方と『国死館殺人事件』
何だかまったりとした一日。仕事中にあまり電話が鳴らず、ゆっくりと溜まっていた仕事が消化できた。
──一年ほど前は仕事中にブログの更新ができるくらいだったが、そこまでの余裕はさいきんできない。おかげでブログを更新しなくなって久しい(何かが間違ってるぞ)。
家でもまったりとPCをいじったり、シレン64で死んだり(死ぬのが日常のゲーム)、本を読んだり──。何とも平和な日々だ。
本といえば、この話題。
<http://hugo-sb.way-nifty.com/hugo_sb/2006/05/post_5bb1.html>
青空文庫、というのは著作権が切れた作品を、オンラインで読んだりダウンロードができるWebサービス。ボランティアの方々によって運営されている。
《日本三大奇書》の中の一冊、『黒死館〜』が読めるようになったので、挑戦してみようかな。『ドグラ・マグラ』にかなりハマったので、『国死館〜』も期待できるかも。
「本を読むと自分の世界が広がる」──というのは昔から識っていた。しかし最近、本を読んでいて感じるのは「それも読み方による」ということだ。
どうも、年齢のせいか「自分と同意見のところばかり印象に残る」ことが多い。自分の考えを後押ししてくれることを、ほんに期待しているようだ。しかし、それでは自分の世界が広がるころはない。
そうではなくて、「ここは自分の考えと違うな」「そんな考え方があったのか」「いや、これはどうだろう」と思うところに印をつけながら本を読んでいる。自分と同意見のところは流し読みしていても支障はない。
そうなると、プライベートでも「まったく話が合わない」友人を作るといいかもしれない。「類は友を呼ぶ」という関係ばかりだと、人間に広がりができにくい。
さて──その前に友達が少ないのを何とかしなければ……。